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目次:
米国政府の人物交流計画の変遷とその思い出―同行通訳者の眼を通して・日比祐一
蘇るアメリカとアジアの平和・河合正智
人と地域の自立―私たちの見たアメリカの活力の源泉・平岩昭彦、谷口利治
名古屋アメリカン・センター館長のあいさつ
名古屋アメリカン・センターのハイライト
前号:
| 第1号 | (平成10年5月) |
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| 第2号 | (平成10年11月) |
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An Escort-Interpreter's Reminisences of the International Visitor's Program by Eiichi Hibi |
米国政府の人物交流計画の変遷とその思い出―同行通訳者の眼を通して
日比祐一
私がEscort/Interpreter(E/I)の仕事に志願したのは、もう一度米国に渡り、働きながら大学院で西洋精神史を専攻してみようと考えていたからであります。1957年の6月から1958年の9月まで、私はフルブライト留学生として、米国の労働法と労使関係論を、ニューヨークのマンハッタン大学に特設されていた、米国国務省の特別コースで学びました。同大学には、幸いなことに、ハーバード大学からファイ・ベタ・カッパ(Phi
Beta Kappa)を受賞された日本人びいきの先生がおみえになりました。先生はカトリックのド・ラ・サール教職会に所属されていたクリスチャン・ブラザーであられたが、人間味にあふれた頭脳明晰な学者であられた。フルブライト・プログラムに直接関係のないお方であったが、私的に大変親しくしていただいたのでお願いして、先生のアメリカ文学や西洋精神史の講義を聴講させていただきました。はじめはヒアリング力が不足していたので講義内容は半分くらいしか理解できませんでした。しかし次第に理解できるようになると、知的に触発されて、西洋精神史に深く関心を抱くようになり、労使関係論はおろそかになってしましましたが、手当たり次第、歴史書や哲学史の本を読みました。そして、1958年の秋、強い勉学意欲にもえながら、後髪を引かれる思い出で日本へかえってまいりました。いろいろ機会を狙っていたのですが、E/Iならば、仕事と勉強を両立させることが出来るのではないかと思い1964年初夏E/Iに志願して米国に舞い戻りました。早速国務省言語部へ出頭すると、女性の部次長から、”貴男は米国で勉強したことがあるので、オリエンテーションの必要はないから来週から早速仕事をしてもらう”といわれてしまい人使いの荒さに驚きました。
当時の米国政府の人物交流計画には3ヶ月と云う長い期間のプログラムが多く、一都市に10日間滞在したり、一大学に2週間も逗留するようなことも稀ではありませんでした。一仕事終えて家に帰ってくると、大体季節が変わっていたものでした。しかし、生活は突如として船乗りのような生活になってしまい、念願であったワーク・スタディの計画は断念せざるをえませんでした。当時、米国政府が日本から招待した人々は、大部分が学者、作家、ジャーナリスト、政治家、労働指導者でしたが、いずれもトップクラスの人々でした。迎えた米国も、ノーベル賞の受賞者をはじめ各界の一流人物を配して、丁重に招待客をもてなしたのでした。その後、年を経るにつれて、プログラムは変化してきて、米国滞在期間も40日、そして30日と短縮されてゆき、ビジターもトップクラスから将来を嘱望される各界の中堅層の方々が多くなってきております。
日米の絆を強め、両国の親善に微力ながらも貢献でできればと願って、文字どおり全米を飛びまわっているうちに歳月は流れ、気がつけば、はや、30数年がたってしまっていました。その間、米国では、公民権法の成立、グレイト・ソサエティ政策の実行、大学紛争、ベトナム戦争、ニクソン訪中、米ソ雪解け、ウオーターゲート事件、フェミニスト運動の台頭、キング牧師・ロバート・ケネディの暗殺、Roe v. Wade判決、都市部黒人の一揆騒擾、ソビエット体制の崩壊等などが起き、叉経済面では、高税、高失業、二桁インフレ、二桁利息、双子赤字の時代が続き、リーガノミックスにより健全は経済発展が再び築かれるまで、米国民は、自国の経済に対し自信と信頼を失いがちになったものでした。
30数年もE/Iをしていたので、いろいろなハプニングに出会いました。ニューヨークの大停電の夜、ウオドルフ・アストリア・ホテルで文字どおり真暗闇の中を24階までのぼり、部屋にたどり着いたこと、オバーリン大学のベトナム反戦ティチ・インで夕食も食べずに学生と3時間も語りあったこと、UCパークレイ校で時限爆弾の爆発時刻が迫ってきている旨の脅迫電話がかかつてきたので直ちに校舎からの退去を命ぜられ、病弱で心臓病をもつ学者を背に負ってキャンパスの芝生のスロープをかけおりて避難したこと、政治家から個人的に強い要請をうけ、共に変装して教会のスープ・ラインにならび、ホームレスの人達と食事をしながら話し合ったこと、アメリカの労働組合の全米大会で、日本の労組代表がベトナム反戦のスピーチをしているとき、激昂したベトナム・ベテランの組合員が演壇にとび上げってきて、身の危険を感じたこと、メキシコ湾上空で搭乗機が積乱雲にはぃてしまい大ゆれに揺れて、恐怖のあまり大声で日本語で、”助けてくれ”と絶叫する学者先生をなだめ続けたこと、等などハプニングを列挙すれば数ページになってしましますが、いずれも、今となっては、懐かしい思い出になっております。
E/Iの職務上の余録として、航空母艦、潜水艦への試乗や大演習の参観等興味深い仕事も多くありましたが、最も楽しかったアサイメントは麻酔探知犬、爆発物探知犬とドック・ハンドラーの訓練の仕事でした。今でも常時鹿が出没するシェナンドア国立公園に隣接する米国税関のK9(ケーナイン)訓練所で、1コース、1ヶ月のスケジュールで訓練が行われたのですが、景色よし、空気よし、水清しと云う理想的な環境を楽しみながらの犬の訓練の仕事は最高のレクリエイションでもありました。帰国したとき成田空港で麻酔探知犬が活躍しているのを見るたびに、シェナンドア訓練所を思い出して、”うん、うまくいっているな、”と安心し、ひとりで悦に入いています。
(筆者は昭和28年南山大学卒。フルブライト・スミス&マント法奨学金により米国の大学で労使関係論を専攻。
1964年より30数年間、国務省の同行通訳者として活躍。同氏はこの中部地方からの渡米者を含む多くの米国広報文化交流庁主催による人物交流計画参加者の同行通訳として知られている。現在もワシントン郊外に住む)
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A Revived America and Asia's Peace by
Masatomo Kawai, Member of Parliament |
蘇るアメリカとアジアの平和
衆議院議員
1992年1月、米国広報文化交流庁のIVプログラムにより、ハーバード大学でジョセフ・ナイ教授にお会いできた。ナイ教授は、前年9月に同大学ウイナー講堂での池田大作SGI会長の「ソフトパワーの時代と哲学」と題する記念講演にふれ、「今もなお共感が広がっております」と述べられた。
私は『人類は将来いかなる型の統合政府を作るかとの論点について、トインビー博士は悲観的で、「中国的統合原理に基づく統合者によって統合される」との見解。一方、池田博士は、「統合の方向は、中央集権的ではなく各国が平等の立場と資格で話し合う連合方式ではないか」と意見が異なっています。ナイ教授はどのようにお考えですか。』と質問した。
ナイ教授は「5年先の未来を予測することでさえ困難な私が、人類の未来について予言することは不可能に近い。しかし、どちらを支持するかと問われれば、池田博士の楽観的な見方を支持したい。」と述べられた。
トインビー博士の碩学、池田博士の平和への意志と知恵、ナイ教授の柔軟な思考力に触発された衝撃的な感動を今も忘れることが出来ない。
あれから7年たった3月12日、ナイ教授によって書かれた東アジア戦略報告が下敷きになったといわれる日米防衛協力ガイドラインとその関連法案が衆議院本会議で審議開始された。
暴力と戦争の20世紀を、平和の21世紀に転換する為には、東アジア各国の抱く課題はあまりにも多い。しかし私には、ナイ教授の研究室での中国に対する深い理解をもふくめた人類の将来に対する東西の知性の洞察が、埋もれ火のような光源となって胸中にある。
明年の米国大統領選が、すでに始まったようだ。あの時(1992年1月)ヒューストン郊外シモントンのロディオ会場で会ったカウボーイハットの人々は、ブッシュ大統領を彷彿
とさせた。テキサス人はとにかく陽気であった。
アーカンソー州リトルロックでクリントン候補を支持する黒人リーダーに私が「もしパウエル氏(黒人系)が立候補したら支持しますか。」と聞いたとき「勿論です。しかしかれは共和党からといううわさもある。」と眉をひそめた。
7年前のアメリカは貿易赤字と財政赤字という双子の赤字をかかえて、経済は疲弊し、麻薬、犯罪、ホームレスと社会は病んでいた。今日、ニューヨーク株式はT万ドルをつけるほど経済は蘇生し、自信に満ちている。
アメリカはあらゆる困難に直面しても、それを乗り越えようとする力を秘めている。あの広く、深い国のどこにその力があるのか。
それにしてもお会いしたすべての人々は何と親切であったことか。感動の旅 の日々がドラマのように今も蘇る。
(経歴:1944年生まれ。中央大学法学部卒。岐阜県議II期。衆議院議員II期。)
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Individual Liberty and Regional Autonomy: Ingredients for American Success by Akihiko Hiraiwa and Toshiharu Taniguchi |
人と地域の自立―私たちの見たアメリカの活力の源泉
愛知県企画部企画課主査 平岩昭彦
岐阜県商工労働部商工政策課 谷口利治
戦後50年を経て世界が驚くほどの経済発展を遂げたものの、グローバル化をはじめとしする様々は構造改革の中で苦境に喘ぐ日本。そして、1980年代後半の不況のどん底から立ち直り、未曾有の好況を維持し続けている米国。そうした状況の中、本年1月23日から約4週間、「地域経済発展における地方政府の役割」をテーマに、米国各地を訪問させてもらった。米国では連邦政府、地方政府(州政府等)、経済関係団体、大学、NPOなどの様々の方に会うことでき、訪問テーマに関することだけでなく、様々な意味で大変有益な旅であった。
今回の訪問を通して最も強く感じたことが、米国の経済発展に対する意欲の旺盛さである。日本では、経済開発はもういいのではないかという意見もあるが、雇用と所得を生み出す経済発展が豊かさ(welfare)を高めるための原点であるということを改めて思い起こさせてくれた。そして、中央政府の規制・関与が非常に少なく、各地方政府が競い合いながら経済発展に積極的に取り組んでおり、この点でも日米のギャップを感じた。
印象に残ったもう一つの点は、個人の自立とそれを支えるサポート体制の違いということである。米国の人たちは、自分の価値、能力を高めようと常に努力し、自分の力を最大限に発揮するために職場を変えたり、NPO活動などに積極的に関わっている。また、そのためのトレーニング・学習の場が、行政、大学などによって様々な形で用意されている。日本では一つの組織に帰属し、その中での能力発揮ということが主であるが、まだまだ遅れている女性の社会参画を含めて、個人の力を社会全体のパワー拡大につなげるという面で米国に見習う点は多いと思う。さらに言えば、空港、駅、文化施設などで高齢者や障害者の姿を数多く見かけたが、こうした社会弱者への物心の対応という面でも相当の差があるように思う。
真に豊かな成熟社会への道が模索される今日、これから私たちは何を目標にして、何をすればよいのか、今回の米国訪問の旅を終えて、その道筋がおぼろげながらも見えてきたような気がする。
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Message from the Director by Jeffrey Jamison |
「 International ReVisitor」 の最新号では、新しい寄稿欄"IV Eye" (ここでは、"Then and Now") を設け、数年ほど前に人物交流計画で渡米された方に、このIVプログラムで見聞し、学ばれた視点から、最新の米国の動きをどのように見ておられるかを中心に、寄稿していただくことにしました。この新企画欄シリーズの最初の投稿者として現衆議院議員河合正智氏にお願いし、この春期号にご寄稿いただき心より感謝申し上げます。河合氏は1992年度のIVプログラムで渡米中にハーバード大学でジョセフ・ナイ教授に会う機会をもたれ、その時に米国の安全保障政策専門家が日米防衛協力の役割を再考慮中であることを知られました。ナイ教授自身がきっかけとなって始まった再検討が、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を最終的に生み、現在河合氏は国会でのこの法案に関する集中審議に参画されています。
現在日本で起きている討議で、この防衛協力のための指針に関する審議ほど複雑で、基本的なもはありません。この審議は日本国憲法と日本の安全保障の重要な問題の根源に触れるからであります。日本政府並びに国会内でも等しく複雑な問題でありますが、一般国民にとってもより難しくて取り扱いにくい問題かも知れません。
過去一年間、米国はきわめて複雑で扱いにくい問題、即ちクリントン米国大統領の弾劾調査とその弾劾手続きに関する公開の討議を経験しました。この討議に類似した事件を、勿論日本ではこれまで経験したことがありません。この米国大統領をめぐる弾劾裁判は日本の安全保障に関する審議とは何の関連もありません。しかし、この米国で行われた討議は、開かれ、民主的なすべての社会で将来行われるであろう国民の対話の方向を明確に示しました。
まずこのスキャンダルで果たしたインターネットの役割について注目しなければなりません。このインターネットの影響で、メディアによる報道が絶え間なく続き、主流と傍流のジャーナリストが様々な意見を述べ、スター独立検察官報告書は何百万人もの人達に閲覧されました。これは歴史上、インターネットによる最初の公開討議でもあり、多くの間違いもしましたが、多くの教訓を学び、率直さの重要性が確認されました。
最後に、もし何か日米関係と共通点があるとするならば、友好的で開放的な関係が時々やっかいで困らせるような状況を醸し出したとしても、両国間の友情はこのような出来事 にもかかわらず続いていきます。日米安全保障協力の重要性と貿易の流れはーそのなかには貿易不均衡から在日米国軍人による犯罪行為等をも含みますがー紛争の条件を生み出しますが、しかし両国間の協力と意志の疎通はうまく働き、日米の協力により、最高の目的を達成することが出来る環境を日米両国に作り出します。友情、協力と善意に慣習は、IV計画のような活動を通して、計り知れないほどの利益をもたらします。
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1999 Hokuriku International Affairs Forum Highlight Report |
第一回北陸国際問題フォーラムを3月11日金沢で開催いたしました。このフォーラムは名古屋アメリカン・センター、北陸日米文化協会、福井日米協会と富山日米協会との4団体間の協力で実現できました。著名な日米の専門家が北陸地域の学会、マスコミ、官界と実業界の指導者60名以上と「日米関係における今後の政治・経済動向」について実り多い意見交流を行いました。
最初の講師オリエンタル・エコノミスト誌のリチャード・カッツ氏は興味深い対日分析を行いました。日本が経済苦境から脱却し、世界経済のリーダーとして再登場するために、これから取るべき道を分析し方策を示すことで、今回のフォーラムに新風を吹き込みました。映画「Shall weダンス」の愛好家であるカッツ氏は日米協力をダンスにたとえ、必要な日本の経済改革と貿易の自由化を通して日米協力を一層発展させることができるとの希望を表明しました。叉同氏はこのフォーラムでの意見交流を勧め、このフォーラムにおける日米対話は、自信と率直な意見交流で特徴づけられ、この二つの特色がまさに日米ダンスを際立たせました。
カッツ氏はいくつかの分野における日本の経済政策の欠点を指摘しました。第一に成長指向型の企業を発展させること、第二に発展を阻害する非競争的な商慣行を撤廃すること、第三に国内製造業のみならず経済的に苦境にあるアジアの国々からの輸入を日本が促進すること等を提案しました。
二番目の講師高野紀元外務省研修所長は最近のアジア情勢を展望しました。この地域に見られる危機にふれ、今後の中国経済の発展こそこの地域の主要な安定要素であり、近隣諸国のみならず、中国の国内経済や外交政策決定に影響を及ぼす可能性をもっているとの意見を述べました。
次に政治軍事問題にふれて高野氏もフレデリック・マークル駐大阪・神戸米国総領事も共にこの地域の一触即発の危機をはらんだ国々に話題をむけ、今後の日米両国の取るべき政策を話しました。このフォーラムは米国の北朝鮮への今後の政策を話し合うためにペリー前国防長官が日本政府の首脳との会談に訪日した翌日に開催されましたので、その講演の焦点は北朝鮮政策に対する米日韓の3国が共に密接に調整する可能性に向けられました。高野氏は韓国対北朝鮮の2国間関係への米国の介入に対して、韓国政府の新しい柔軟開放政策をよみとり、この開放政策は、中国の北朝鮮への介入の度合いが少なくなるにつれ、今後韓国、米国、ひいては日本を含む3国による幅広い、包括的な行動の機会を生み出すだろうと表明しました。
マークル総領事は講演の焦点を少し変え、主に参加者の関心を新しい日米協力のための指針(ガイドライン)と北陸地域における環日本海地域の特殊な問題点に向けました。この講演で、総領事はこの地域における不安定要因を抑制するための米国の努力、即ち北朝鮮を追いつめて軍事的な挑発行動に走るのを避けること、米国が中国とこれまで同意した事項を力説し、中国を国際社会への参加を推し進めること、ロシアの経済危機に対する国際社会の対応に対して米国が調整努力をしてきた事を話しました。また総領事は北方4島領土問題解決交渉へのロシアの国内問題の難しさに対する日本国民の理解にも賛辞を表明し、環日本海地域の安定に果たす日米安全保障同盟の役割を強調しました。北朝鮮に対する日本人の態度を形成する上での微妙な人間的感情の役割と、米国の北朝鮮との合意枠組みと朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)への日本国民の疑念をも認めながら、総領事は日本は予想もされないようなシナリオにも万全の用意をし、一方、朝鮮半島での不安定要因を少なくするために外交手段を講ずるように日本に勧めました。
小西健二北陸日米文化協会会長は開会の挨拶で、マークル総領事とこのフォーラムの総合座長を務めたNHK解説委員堀徹男氏(同氏は4年間金沢放送局長として勤務)に感じた親密な人間関係にふれ、NHKの子供教育番組からヒットした歌謡曲”だんご3兄弟”に3人の関係を比較しました。名古屋アメリカン・センターはこのフォーラムで始まって北陸の3日米協会との協力関係が”だんご3兄弟”のように今後ますます発展し、この地域における日米対話―(または日米ダンスと呼んでもいいが)ーの確固たる土台を作ることを切望いたします。